デジタル化=ローカル
書類や書籍のデジタル化は、現在生きている情報を扱うとすると、徹底的にローカルにこだわることになります。情報というのは差異があるところで価値が出てくるので、広く公開された情報には情報としての価値はあまり見出しにくいものです。このへん、いい方はすこし抽象的でむずかしいのですけれど、自分にとって十分価値のある情報と考えていけば、それは個人情報を含んでいるものであったり、著作権が生きている最新刊であったりするわけですから、そういう情報を自由に扱うためには、ローカルに情報をためる必要があると思います。
音楽とデジタル書籍の差
デジタル化された音楽は、iPodのラジカルな広まりで、デジタル化への認知度や精度が急速に整いつつあります。書籍のデジタル化が遅れているのとは、じつに好対照だと思っています。
ともあれ、筆者はもっぱら自分で扱うために自分の所有する書籍をデジタル化しているだけです。
デジタル書籍は、以前に較べればだいぶ広がりつつありますが、ディスプレイで長文を読むのは無理だと筆者は考えていますし、可能であるとしてもまあしないだろうなぁと思っています。何度かテスト的に行ったことはありますが、慣れないこともあって、肩は凝るわ、涙は止まらないわ、偏頭痛はしてくるわ、もうひどい目に遭いました。
デジタル化の恩恵は、空間の確保とか、検索性の向上とか、再利用性にあるのであって、書籍をデジタル化するときに、それぞれ得意なことをするようにしないと、長所を発揮できないと思います。
デジタル書籍の普及と著作権問題
著作権とデジタル化の問題もここ数年注目されていますが、筆者が生きているうちには解決しないだろうなぁと思います。
先日ふと、川端康成の『雪国』の書き出しを引用したくなって、Webを検索したのですが、『雪国』の全文はWeb上には存在しませんでした。川端康成は1972年4月16日(日曜日)、筆者が小学校に入学した3日後で、アメリカ軍が北ベトナムへ爆撃を再開した日に自殺しています。著作権は没後50年有効で、70年に延長される話もありますから、筆者が生きていているときにWeb上で無料で川端康成の本を手にできる可能性は、ほとんどないですね。別に無料でなくてもいい、というのならありますけれど、無料でなく検索や引用できない独自ファイル形式で手にするくらいなら、じっさいの本を買ったほうがマシでしょう。
結局、ローカルなんだろうな、と思います。
新聞の切り抜きのスキャンをPileDesktopで見る
切り抜いたまま整理せずに20年も放置したままだった新聞を、先日スキャンしてデジタル化しました。『ハスラー(2)』『NOKKO(Rebecca)』『テクノ』『マルサの女』などの文字が時代を感じさせますね。黄ばんだ色もいかにも時代って感じです。それにしても、新聞の見出しと写真の組み合わせというのは、じつに効果的に情報を整理しているものだと思いました。PalmView(手のひらサイズのサムネイル)でも、充分に記事の内容を判断できるのです。いまと違って、写真がモノクロなのがすこし残念ですけれど。
PileDesktopの画面をCapturePileでキャプチャーしてSmartWriteでメモ
そのままですが、スキャンした新聞のPileDesktopの画面を、CapturePileでキャプチャーしてSmartWriteでメモをとってみました。乱雑により分けられた色あせた新聞、手書きの書き込み。わたしの作りたいものの雰囲気をつかんでいただけたでしょうか。
楽したい、ずぼらになりたい
"楽したい"というのは、Lifelogのもたらしてくれる恩恵のひとつだろうと思います。どうやって楽するのか、「記録」と「楽」をどうつなげるのか、というのは、いきなりつなげて言葉にすると、「風が吹けば桶屋がもうかる」みたいに聞こえるかもしれません。別にだまそうとしているのではなくて、ログをとっただけで役に立たなければ意味がないのです。
どう役に立てるかということを考えた結果、この1~2年で、メーラー(『PileMail』)やその他の環境(『PileSecretary』)を徹底的に作り込んでいろいろ楽をできるようになりましたが、そうしてみると、なるほど記録は結果として楽につながるのだな、と思っているわけです。
人生の無駄と無駄の排除の共存
そう。徹底的に楽したい、というのは、いつも考えていることです。ほんとにもう、なんというか、無駄なことはいっさいしたくないと考えるタイプなんですね。その割に、延々と本をスキャンしていたりするので、人生の無駄はずいぶんしているのですけど。無駄はするけど無駄はきらい。なんか自分でもいっていることが矛盾しているとは思います。
たとえば、この連載を始めるに当たって、図版と、本文とを一致させるシステムを作りました。いずれ詳細はお話ししたいと思いますが、blogやメールなどで、図版と文字を組み合わせてなにかする、というときに、限りなく最小限の手間で、しかも誤りなく作業できるようになりつつあります。
スキャンを待っている最近の紙資料
最近とかいいながら、表紙の通り、8年も前のシドニーオリンピックのときの雑誌『Number』のオリンピック特集号です。
1日のノルマは10cm
デジタルスキャンの1日のノルマは10cmと決めています。この日はまとめて断裁したので、15~6cmくらいあるので、途中でギブアップしました。
スキャンの工夫(1)
スキャンした紙は、スキャナから下の箱に自動的に入ります。重力万歳です。このときに、中間にある紙がばねの役割をして、きれいに箱のなかに並ぶようになっています。
スキャンの工夫(2)
スキャナから落ちてきた紙は、中間にある紙で滑って、方向がそろいます。
スキャンの工夫(3)
スキャナから落ちてきた紙が箱のなかにまっすぐ入りました。遠くに飛ばないように、厚紙(はがき)を段ボールに立てかけてストッパーにしています。
スキャンの工夫(4)
つぎつぎとスキャナから落ちてきた紙は、中間にある紙で滑って、方向がそろいます。
スキャンの工夫(5)
そしてまたスキャナから落ちてきた紙が箱のなかにまっすぐ入りました。紙がまっすぐそろっていないと、箱を閉じることができなくなって、リサイクルに出すときに、めんどうな作業が増えます。ばらばらになった紙は、摩擦でくっついてしまって、簡単にはそろわなくなるのです。
自動化と手作業を分離する
たとえば連載のなかで、Webの画面をご紹介する画面キャプチャーを撮るのには、『CapturePile』という画面キャプチャーソフトを使っています。この画面キャプチャーソフトは、Lifelogのためにつくったオリジナルのキャプチャーソフトで、キャプチャーするときに、その画面(ウィンドウ)にある取得可能な文字をファイル中にタグとして埋め込んでキャプチャーすることができます。
ファイル名も自動的に生成しています。保存するフォルダも自動生成です。キャプチャーするだけで、以上の作業を自動的に行ってくれます。
スクリプトによる半自動化
写真と画像とは、ファイル名で指定していますが、指定作業も(まだいくぶん手動の部分が残っているとはいえ)、スクリプトを作ってかなり自動化を進めました。
原稿に限らずblogやメールでも、文章を書けば、自動的に図版と組み合わせることができれば、いちばん間違いが少なく、めんどうな手作業が少なくて便利だと思いますけれど、それにむかって着々と進んでいます。
手作業のよさと自動化
紙やPileDesktopのもつ「手作業」のよさ、手作業の必要性というのは、徹底的に作業を自動化してみて、最終的にどうしても人間が判断をする部分だけ、優雅に行うことを意味するのだと思います。
コンピュータは自動化とたいへんに相性がよく、特にコピー&ペーストの機能に優れています。これをどこまで使い倒すか、というのは重要だろうと思います。
連載用の画像一覧
連載用の画像を集めたフォルダです。この機械的なファイル名を使ってファイルとキャプションの整合性をとるのは困難なので、かんたんなスクリプトを併用しています。
makecaptionスクリプト(実際には1行で記述しています)
dir /b |
gawk "{ print \"▽画像入る\:\" $0 \"\n^<キャプション^>\n\"}" >
filelist.txt
画像ファイルの一覧から、キャプション作成用のテキストファイルを生成しています。これでファイル名のタイプミスは原理的にはなくなります。